2019年07月27日
自己表現について
今回ちょっと他言をはばかるネタを呈します。常々思っていたのだけど、自己顕示欲が根底にある職業というものがありますね。俳優とかアナウンサーとかモデルとか。まあ、いいんですよ。とはいえ、己の肉体をさらすヌードモデルというものは別格だと思うのですね。実際、本当に「美の人柱」となろうと考えているのか。実は、自分の身体を人に見せたいだけではないのかと思いますが…というようなことを、とある男性モデルのブログでぶちかましたことがあったのですね。確か十年くらい前のことかな。もちろん、相手は怒りました。じゃ、私の説をくつがえす論があるのだろうか。ないんですね。実際、男のモデルっているんです。生業として成り立つほどのことではないと思いますが。まあ、微々たる需要ではあるけど、やはり必要らしい。男にとって裸であるか裸でないか、というのは、モノを見せるか見せないかということに局限化します。それを見せる見せないかという覚悟の問題になります。私はそういう覚悟はないですね(笑)。というより、私の身体はもはや美を体現していないという現実がありますけどね。
女性モデルは一定の需要があるので、美を体現していると世間的に認知されているのでしょう。でも、男の肉体もそうなのであろうか。例えば、ミケランジェロの「ダヴィデ」ですね。美術番組でも全身像は出しても、部分像でナニは映さないと思う。それは男のナニは美を体現していない、という暗黙のメッセージではなかろうか。私もやはりそう思います。先にも申し上げたように、男性モデルというものも少数ながらいるようですが、どういう動機でやってんのかなと正直思いますね。まあ、精神性を肉体で表現する、などといううがったことをほざいているブログがあるけど、まるっきり信じられませんね。ただ単に見せたいだけじゃねーの、と思うのですね。悪いけどね。しかし、それは私の偏見であって、肉体は精神性の反映なのだろうか。うーん、でも、私も含めて市井にそういう人はほとんどいないと思います。要するに、「ぼーっと生きてきた成れの果て」という人ばっかりな気がする。はばかりながら、私は戯作などに手を染めている者ですが、それは表現だと思います。でも、ナニを見せることが表現と言えるのかわからない。もちろん、そういう生き方を否定はしません。流されずに自分らしく生きているという点でね。でも、何が自分らしくなのだろうか。私自身、人の都合に左右される半生をおくってきました。「こうしたい」と心中で思っていてもできなかったのですね。実につまらない話をしました。お読み捨てありたく。
女性モデルは一定の需要があるので、美を体現していると世間的に認知されているのでしょう。でも、男の肉体もそうなのであろうか。例えば、ミケランジェロの「ダヴィデ」ですね。美術番組でも全身像は出しても、部分像でナニは映さないと思う。それは男のナニは美を体現していない、という暗黙のメッセージではなかろうか。私もやはりそう思います。先にも申し上げたように、男性モデルというものも少数ながらいるようですが、どういう動機でやってんのかなと正直思いますね。まあ、精神性を肉体で表現する、などといううがったことをほざいているブログがあるけど、まるっきり信じられませんね。ただ単に見せたいだけじゃねーの、と思うのですね。悪いけどね。しかし、それは私の偏見であって、肉体は精神性の反映なのだろうか。うーん、でも、私も含めて市井にそういう人はほとんどいないと思います。要するに、「ぼーっと生きてきた成れの果て」という人ばっかりな気がする。はばかりながら、私は戯作などに手を染めている者ですが、それは表現だと思います。でも、ナニを見せることが表現と言えるのかわからない。もちろん、そういう生き方を否定はしません。流されずに自分らしく生きているという点でね。でも、何が自分らしくなのだろうか。私自身、人の都合に左右される半生をおくってきました。「こうしたい」と心中で思っていてもできなかったのですね。実につまらない話をしました。お読み捨てありたく。
Posted by 館長 at
00:22
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